おおいたの食文化をひもとく

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大友宗麟公の時代にもたらされた西洋の食文化や、米の十分になかった時代に発展した粉食文化など、ここ大分の地に根付く食文化は、おおいた固有の背景や条件のなかから生み出されてきました。
旬の食材を活かし、暮らし方や営みに適した調理法や食し方を模索し続けた先人の知恵をひもとき、『豊後料理』 創作のアイデアソースにしてみませんか?

不動の人気メニュー

子どもから大人まで、みんなが大好きな大分の郷土料理の代表格をご紹介します。
家庭のほか、レストランや居酒屋、カフェなど、さまざまな飲食店で提供され日常の食生活に根付いたソウルフードともいえる4品です。

とり天

鶏肉にしょうゆや生姜で下味をつけ、衣をつけて天ぷらにしたものを、お好みで酢じょうゆやからしを付けて食べます。ムネ肉を使用するのが主流ですが、モモ肉やささみを使用する場合もあります。飲食店が増え、養鶏がさかんになっていった昭和20~30年代にかけて、別府市や大分市で始まったとされています。一説には、中華料理の『炸鶏片(チャーチ―ペン)』がルーツともいわれています。

やせうま

団子汁と同様の手延べ団子を茹で、きな粉と砂糖をまぶしたおやつ。平安時代に都から下向し由布市挾間町の妙蓮寺に隠れ住んでいた幼君・藤原 鶴清麿(つるきよまろ)が、八瀬(やせ)という名の乳母が作ったものを「八瀬、うま(いものじゃ)」と喜んだことが語源といわれています。彼岸や盆のお供えのほか、七夕に作る地域もあります。

団子汁

地粉を練って手延べしたひも状の団子と、ごぼう、椎茸、にんじん、さといもなど、旬の野菜をいりこだしの味噌汁で煮込んだ汁物。米が不足していた時代には主食代わりに食されていたともいわれる、素朴な家庭料理です。地粉に水と少量の塩を加え、手延べする前に30 分から1時間ほど寝かせると伸びが良くなります。

りゅうきゅう

お酒にもごはんにもよくあう、季節の魚を味わう料理。あじ・さばなどの旬の魚の切り身をしょうゆ、みりん、ごまなどを合わせたタレに漬け込み、ねぎやわさび、しょうがなどの薬味を添えて食べるもの。もとは漁師が船上で食するために作っていた料理とも言われていますが、名前の由来は「琉球の漁師から伝わったため」や「ごま和えの別称である利休和(りきゅうあ)え」など諸説あり、はっきりとした語源は定かではありません。

おおいたスイーツ

農作業の手を休めて、あぜ道や畑のまんなかに腰掛けて食べるお餅やおまんじゅう。そんな小昼 (こびる)の格別の美味しさは、家庭だけでなく菓子職人にも受け継がれ、日々のおやつや大分ならではのスイーツとして進化しています。

石垣もち

地粉をこねた生地に、角切りのさつまいもを混ぜて蒸した素朴なお菓子です。冬から春にかけての小昼の定番。地域によって生地の配合やさつまいもの形状が異なるので、ふんわりとしたものやしっとりとしたものなど、食感や見た目も大きく違います。名前の由来として、「角切りのさつまいもが石垣に似ているから」「旧石垣村( 現別府市) で作られていたから」など諸説あります。

酒まんじゅう

酒粕や米麹、ごはんを発酵させて作る『種』に小麦粉を混ぜ、小豆あんを包んで蒸すまんじゅう。かつては、酒まんじゅうの一部をとっておき、それを種に新しい酒まんじゅうを作っていました。竹田市・豊後大野市では小昼のほか、春から夏にかけての行事やお盆によく食べられていました。あんなしの『しえまんじゅう』も、おやつや食事として親しまれています。

じり焼き

地粉に塩と水を加えて溶いた生地を薄く焼き、黒砂糖を包んで食べるおやつ。『ひやき』『へこ焼き』など地域によって名称は異なりますが、県内全域に同様のものがあります。近年は生地に牛乳や卵を加え、ジャムやさつまいも・かぼちゃのあんを包むなど、さまざまなアレンジによって進化しています。

ゆでもち

地粉を練った生地で小豆やさつまいものあんを包み、茹でたもの。手の平で押して円盤状にしてから茹でるため、薄く平らな形状で、端まであんが入っているのが特徴。
モチモチとした食感で腹持ちが良く、竹田市や豊後大野市の名物として親しまれています。

粉食文化

大分は台地が発達しており、米作りに適さない土地が多く、各地で水路が整備されるまでは、畑を基盤とした麦などの穀物栽培がさかんでした。収穫された穀物の大半は粉に挽いて利用され、大分では豊かな粉食文化が花開きました。なかでも代表的な『団子汁』や『やせうま』『ほうちょう』のほか、小昼にもさまざまに使われています。

大分県民は鶏が好き

大分県は鶏肉消費量が全国でもトップクラス。とり天やから揚げだけでなく、鶏肉を用いた美味しいおもてなし料理がたくさん考案され、広く親しまれてきました。

鶏めし

かつては、おもてなしや祝い事があると家で飼っている鶏を潰し、鶏料理を作っていました。また、大分市吉野地区では江戸時代から、行事があると地域の人々が鶏肉やごぼうなどの材料を持ち寄って鶏めしを作っていたとも。
1988 年に地元の婦人会によって『吉野鶏めし保存会』が結成され、その味と製法は今も地域に受け継がれています。

かしわ汁

主に山間部に根付く、地鶏とごぼうをしょうゆと酒で味付けしたおもてなしやハレの日のための汁物。由布市湯布院町では、祝い事や祭りのあとに催される酒席『なおらい』になくてはならない振る舞い料理として伝えられています。竹田市でも『とりすき』と並びハレの日のご馳走として、大晦日や祭りの日などに作られていました。また、大分市の野津原地区では、かしわ汁にすりおろした自然薯をスプーンなどですくって汁の中に落とす『おとし汁』が今に受け継がれています。

お城のアイデア料理

山里で魚を食べるには? 倹約しつつご馳走を作るには? ここにはない食材をお殿様が所望したら?
お城の料理番は、いろんなリクエストに答えながらも美味しく滋養ある料理を考案し、国を支えてきました。

きらすまめし

『きらす』はおから、『まめし』はまめす( =混ぜる)という意味で、魚の中落ちや刺し身の切れ端とおからを混ぜ合わせたもの。臼杵藩の質素倹約の精神を体現し、新鮮な魚を余すところなく味わえる一品です。あじ、ぶり、かつお、さばなどの魚の切身をしょうゆと三杯酢で味付けしたおからで和え、かぼすを添えて供します。

ほうちょう

地粉をこねて細く延ばし、つゆにつけて食べる、大分市戸次地区に伝わる料理。鮑腸と書いて『ほうちょう』と読みます。鮑が手に入らなかった際に、鮑を好んだ大友宗麟のために家来が鮑の腸に似たものを作ったことが始まりと言われています。つゆは昆布、乾椎茸、かつお節から作っただし汁に、しょうゆ、みりん、塩、かぼすを加えて作ります。

頭料理

山間の竹田市では、馬しか運搬手段がなかった江戸時代に、臼杵や佐伯から運ばれてくる魚は大変な貴重品でした。そこで、身だけではなく、頭やエラ、アゴ肉、皮などあらゆる部分を食すため、先人の知恵が生んだ料理。ニベ、アラ、ハタなどの白身魚を部位ごとに切り分け、湯引きしたものをかぼすで作った二杯酢や三杯酢で食します。

おおいた流・多国籍料理

古くから交易の拠点として港を開いてきた大分は、さまざまな国の食文化を受け入れてきました。その土地の食材や味覚に合わせて、時の料理人たちがアレンジしてきた多国籍な料理は、今も地域で愛されています。

黄飯・かやく

16世紀半ばに臼杵市に訪れた宣教師が、信者に振る舞ったパエリアを真似て作ったものと伝わっています。キリシタン大名・大友宗麟の庇護を受けて郷土料理の代表格になりました。当時シップ薬として使われていたクチナシで着色したごはんに、豆腐、根菜類、椎茸などを炒めたものに焼いてほぐしたエソの身を加えしょうゆで煮た『かやく』をかけて食します。

別府冷麺

昭和25年頃、満州から引き揚げてきた人々が、朝鮮冷麺を和風にアレンジして広めたのが始まり。専門店を始め、焼肉屋やラーメン屋、居酒屋など、いまや別府市内60店舗以上で提供されています。和風だしのスープにそば粉の入った麺、酸味の効いたキャベツのキムチ、牛スネ肉のチャーシューなどが特徴で、四季を通じて提供されています。

大分にいち早く導入された西洋文化

1551 年のポルトガル船入航以来、大友宗麟は海外との貿易に力を注ぎ、豊後府内(現在の大分市)に西洋文化を積極的に取り入れました。これによって、西洋の音楽や演劇、医術のほか、砂糖・香辛料などももたらされました。かぼちゃが日本に渡来したのもこの頃で、『宗麟かぼちゃ』として今でも栽培されています。また、1557 年に府内教会で牛肉とともに炊いたごはんが振る舞われたという記録や、府内の育児院で乳幼児に牛乳を飲ませたという記録もあり、これらはいずれも大分市に日本で初めて伝えられた西洋の食文化です。大分は台地が発達しており、米作りに適さない土地が多く、各地で水路が整備されるまでは、畑を基盤とした麦などの穀物栽培がさかんでした。収穫された穀物の大半は粉に挽いて利用され、大分では豊かな粉食文化が花開きました。なかでも代表的な『団子汁』や『やせうま』『ほうちょう』のほか、小昼にもさまざまに使われています。

ささっとエネルギーチャージ

ハードワークの合間の食事は美味しく手早く摂りたいもの。郷土料理のなかにも、短時間で効率よくエネルギーを摂取するために考え出されたメニューがありました。もしかしたら現代の生活にもマッチするかも!?

松岡ずし

甘酢を効かせたシャリに、しっかり締めた魚の切り身を載せて強く握った寿司。大葉やしょうが、ごまなどの薬味が添えられています。現在はあじを材料にしていますが、もとは大野川で獲れたイナ( ボラの稚魚) を用いていまし
た。渡し( 旅人を背負ったり台に乗せたりして渡す人) や馬方( 馬で荷を運ぶ人)の昼食として考案されたため、携帯・保存できるように酢を効かせています。

ひゅうが丼

遠洋マグロ漁で知られる津久見市保戸島が発祥のひゅうが丼は、高タンパク高カロリーで手早く食べられる漁師のエネルギー源。切り身にしたまぐろの赤身を、卵黄とごまやしょうゆ・砂糖などの調味料をあわせたタレで絡め、温かいごはんに乗せて食します。船の上で、火を使わずに食べられるように考案されたといわれています。

大地の恵みをいただきます

その土地の風土に適した食材や、地質的な特性によって育まれた食文化をご紹介します。その場所でしかできない調理法や、そこで育まれた食材を豪快に使用する贅沢な料理は、大地の恵みそのものです。

地獄蒸し

温泉の噴気を利用した『地獄蒸し釜』を用い、高温の蒸気で一気に蒸し上げる温泉地・別府ならではの調理法です。素材の旨みを凝縮し余分な油を落とすので、美味しくヘルシーな蒸し料理が楽しめます。肉や魚介、野菜を蒸すほか、おこわやプリン、石垣もちや蒸しパンなど、幅広い調理に活用されています。

こねり

なすやゴーヤなどを油で炒め、味噌やしょうゆで味付けしたもの。最後に小麦粉を加えとろみをつけることから『粉ねり』と呼ばれています。
別名『オランダ』とも呼ばれており、これは油を使っていることや、油を熱した鍋に材料を入れた際に大きな音が出ることから、大分弁の「おらぶ(= 大きな声をだすこと)」が転じたものが名前の由来といわれています。具材にピーマンやかぼちゃを使用したり、しらす干しやいりこを加えることもあります。